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地方創生

アイザワ証券Twitterキャンペーン企画 特別インタビュー 吉備焼窯元

2022.01.24 (月)

アイザワ証券 ソリューション部

豊福 哲矢

アイザワ証券Twitterキャンペーン企画 特別インタビュー 吉備焼窯元

特別インタビュー 吉備焼窯元

アイザワ証券では、目指すべきビジョンとして従来の証券会社とは異なる「超リテール証券」を掲げ、当社独自のネットワークを活用することでお客様が抱える課題に最適なソリューションを提供し、地方創生の実現を目指しています。

岡山県笠岡市が誇る伝統工芸である「吉備焼」。今回は、その窯元である吉備焼窯元四代目の水川創壤様を取材させていただきました!吉備焼窯元は、明治38年(1905年)より、116年、5代にわたり、その火を絶やすことなく代々と受け継がれている伝統的な窯元です。(今回の特別インタビューはTwitterとの連動企画になります。プレゼントキャンペーンはこちら

―― 吉備焼とはどういったものなのでしょうか。その歴史的背景を教えてください。

水川様:

吉備焼は、今から116年前に私の曾祖父が創業し、初代曾祖父の出身地である岡山県吉備郡から「吉備焼」と名付けられました。地元の粘土を使った陶器で、日常で使用する食器から茶陶(ちゃとう)(茶の湯に用いる陶器)をはじめとして、一点ものの美術陶器など、幅広い作品を世に生んできました。

そして二代目の祖父は、有田焼で有名な佐賀県有田の窯業高校に通いながら、釉薬(ゆうやく)(素焼きした陶器の表面に絵具のように色付けするもの)の研究を重ね、海鼠釉(なまこゆう)という深い青色がきれいなオリジナルの釉薬を完成させました。ある日、吉備焼にとって大変名誉な出来ことがありました。それは、昭和天皇が岡山県を行幸された際に、天皇陛下に吉備焼の花瓶を献上する機会に恵まれたことです。献上した花瓶は、祖父が懸命に調合した海鼠釉をつかって焼き上げたもので、吉備焼が広く知られるきっかけにもなったのではないかと思います。

その後、太平洋戦争がはじまると、職人が召集されたことで人手が失われてしまい、窯元にとって非常に厳しい時代に入りました。そんな中でも祖父が中心となり、窯の火を絶やすことなく「吉備焼」の伝統を受け継いできました。

昭和25年(1950年)には、三代目である父も陶芸の道に入りました。父は吉備焼を始めたころから使っていた白い釉薬の改善に試行錯誤を重ね、吉備焼独自の暖かい趣きがありながら、淡い雪のような色合いの「吉備白釉(今回のプレゼント商品に使用しています)」という吉備焼を代表する釉薬を完成させました。父は寡黙な職人気質で、年がら年中陶芸に没頭し続けるタイプだったのですが、第二次世界大戦後の一番厳しい時代の窯元を支え、四代目である私にバトンを渡すことだけを考えてくれていました。

私が父から焼き物づくりについて言葉で教えてもらったことは、皆無と言っていいほどないのですが、父は言葉ではなく、自分自身が仕事をしている姿を見せることで、私が一人前の陶芸家として独り立ちできるように導いてくれていたのだと思います。今、私がバトンをつなぐ立場になって振り返ってみると、父が言ってくれていたことや想いがわかるようになった気がします。

―― 創壤様はどのようにして、陶芸の道にはいられたのでしょうか。

水川様:

父は寡黙な人間でしたので、私の進路についても「あれしろ、これしろ」と言われたことはなかったと思いますが、物心もつかない頃から焼き物に囲まれ、祖父や父が轆轤(ろくろ)をひいたり、釉薬をかけたり窯だきする姿を見ていると自然とその道に進むようになりました。

私は、愛知県瀬戸にある窯業高校の陶芸専攻科に通っていたのですが、幼い頃から陶芸に触れていたため、学校の授業で行う基本的な実技や講義については簡単にできてしまって、正直、あまり真面目な学生ではなかったと思います。そんな私にも在学中に大きな転機が訪れました。それは、当時京都国立博物館に国宝として展示されていた「油滴天目茶碗(ゆてきてんもくちゃわん)」に出会ったことです。

油滴天目茶碗というのは、直径13㎝・高さ8㎝程度の小さい茶碗なのですが、その漆黒の中に油滴(油のしずく)が満点の星のように散りばめてあり、まるで夜空に満点の星空が浮かんでいるような輝きを放っていました。その衝撃と感動は今でも忘れられません。一目見て、この油滴天目茶碗の中に宇宙を感じました。その出会いが、私の眠っている心に火をつけ、そこからさらに陶芸の世界に没頭するようになりました。

当時は油滴を抽出する技術は全国的にもほとんど見なかったので、自身で研究することになり、本当に取りつかれたように研究に励むようになりました。専用の計算機もない時代ですので、3,000回以上、地道に試験を行い、あの油滴天目茶碗に近づけるように何度も試行錯誤を繰り返しました。油滴の原料は「べんがら」という赤色の酸化鉄で、それを乳鉢で擦ります。失敗したら乳鉢を洗いに行くので、洗い場と作業場との間に赤い道が出来てしまって、それを先生に笑われたことをよく覚えています。

―― 四代目としての今後の抱負をお聞かせください。

水川様:

その後も卒業研究として取り組んだ油滴の探求を続け、平成19年(2007年)に大変喜ばしいことがありました。それは、京都最古の禅寺である建仁寺(国宝:風神・雷神図で有名です)へ、私が作陶した油滴天目茶碗100椀を奉納する機会に恵まれたことです。しかも、茶祖・栄西禅師(日本でお茶を広めた人物として知られています)の誕生祭として行われる四頭茶会(よつがしらちゃかい)という由緒正しい茶会で使用するためでした。さらに、平成30年(2018年)にも追加で100椀を奉納し、その際は、私の長女で五代目の莉加と一緒に制作し奉納させていただきました。

最初の奉納の際には、「変土成玉陶(土を変じて玉陶を成す)」という書までいただきました。玉陶というのは勾玉のことで、古代中国にて珍重された宝具の一種です。“粘土から宝物を生み出す”という意味で、陶芸家としてこれ以上に喜ばしいことはありませんでした。

研究を重ね苦難の末に抽出できるようになった油滴は、時代の流れ・技術の発達とともにデジタルで容易に抽出できるようになりました。しかし、100椀焼いて3つ4つしか抽出できない良質な油滴は、デジタルでは到底表せない風情や趣きがあります。陶芸の道に入って43年にして、ようやく私も科学的な分析から油滴を抽出することができるようになりました。

油滴天目には宇宙を感じる魅力が詰まっており、それが吉備焼の魅力でもあります。今後は、宇宙をどうやったら焼き物で表現できるか、夜空を見上げた時にホッとするような、そんな幻想的な魅力あふれる作品を作っていきたいと思っています。

―― 地元の金融機関にも陶芸品を納めているとか。

水川様:

笠岡市に本店を置く笠岡信用組合様から依頼を受けて、高さ160㎝・横幅360㎝ほどの陶壁を納めさせていただきました。自然豊かな笠岡を象徴するとともに、益々発展していく笠岡信用組合様を表現できるような陶壁にしようと思い、建仁寺の風神・雷神図屏風をモチーフに「笠岡を代表する笠岡諸島を風神・雷神が空から見守る」というデザインで、これまで培ってきた陶芸の技をすべて注ぎ込んだ大作となりました。

日本遺産・笠岡諸島の北木島は、日本有数の銘石「北木石(きたぎいし)」が有名で、靖国神社の鳥居や日本銀行など名だたる日本の石積み建築に使われており、今回の陶壁にも北木石を使用しました。建仁寺の栄西禅師の800年祭を記念して作られた石塔にも北木石が使用されていたため、建仁寺の管長様が陶壁を見るため笠岡まで足をお運びいただいた時には大変お喜びいただきました。

陶壁の制作には、五代目である娘の莉加とともに約半年をかけて制作に取り組みました。二代目の祖父が調合した海鼠釉で青い海を表現し、莉加と私とで風神と雷神をそれぞれ描きました。そういう意味でも一家の伝統の技が詰まった作品だと思います。ちなみに娘が作った雷神の方が、表情が優しいと評判です(笑)。

―― 最後にプレゼント企画の「吉備白釉フリーカップ」のおすすめを教えてください!

水川様:

今回プレゼントとして選んだ「フリーカップ」は、三代目である父の思いの詰まった「吉備白釉」を使用した作品です。吉備焼特有の暖かい趣がありながら、淡い雪のような「吉備白釉」の魅力あふれる作品です。

ちょっとでこぼことした凹凸(おうとつ)があって、重量感がありますが、優しい手触りでお客様からも非常に好評です。フリーカップというだけあって、お茶、コーヒー、お酒はロックでもお湯割りでも飲めますし、使用用途が豊富なのが大きな特徴です。長い間ご愛用いただける逸品に仕上がりましたので、是非、たくさんの人にお楽しみ頂きたいと思っています。

プレゼントキャンペーンの概要

1月24日(月)~30日(日)の間に、Twitterで「#岡山の吉備焼」と「#アイザワ証券」とコメントし、当該キャンペーンツイートをリツイートされた方を対象に、抽選で10名様に「吉備白釉フリーカップ」をプレゼントいたします。(当選者にはDMでご連絡いたします。)

吉備焼窯元 概要

社名 :吉備焼窯元
所在地:岡山県笠岡市茂平1365
代表者:水川 創壤(四代目)
概要 :明治38年(1905年)初代水川豊山が岡山県笠岡市茂平で始め、明治・大正・昭和・平成・令和と初代豊山・二代目陶芳・三代目護山・四代目創壤・五代目莉加へ継承されています。

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ライター

豊福 哲矢

アイザワ証券 ソリューション部

豊福 哲矢

2015年に日本アジア証券株式会社(現アイザワ証券株式会社)に入社後、営業経験を経て、公開引受部門に異動。上場準備支援業務等に従事し、アイザワ証券株式会社との合併後は、IPO、M&A、ストックオプション等といった企業の事業戦略サポートに取り組む。

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